西洋医療者の悲劇〜ある乳がん専門医の殉職



ユダヤ人墓地

「末期の卵巣がんの治癒〜S先生との出会い」

に登場していただいた療法家 "S先生" とは

もう15年以上のお付き合いになりました。

彼は私の命も救ってくれましたが

私の知る少なからぬ人々の命

やはり助けてくれました。

今日までに

彼との関わり合いの中から学んだことを

ブログなんかで話し始めようものなら

次から次へとエピソードが止めどなく溢れ出てきて

タイプする指が腱鞘炎を起こしかねません。

今日はシェアさせていただきたいことの

大きな山の中から

悲しく切ない気持ちになった話

一つだけお話したいと思います。



場所がアメリカの西海岸でしたから

彼のクリニックを訪れる人々の国籍は

それこそ多岐に渡ります。

衣食住において

どのような癖を(一般的に)持っているか

どのような病気にかかりやすい傾向があるか

ときには

ここに紹介することを躊躇(ちゅうちょ)せざるをえない

人種にまつわるマル秘の種類のお話(?)も

先生は私とのふたり話のとき

患者さんを連れて行ったとき

家族や友人も混じっての歓談のひとときetc.に

話してくれました。

人種

クリニックを訪れる少なからぬ人が

病院で命の期限を

けっこう言い渡されていたりしています。

そんな人々にとっては

S先生は「最後の砦(とりで)」

といった存在です。

まさに「Last Hope」です。

断崖絶壁に立たされているような気持ちにまでは

させられていなくても

《病気》というものを抱え

それを治したいと願う人やその家族の思いは

常に真剣そのものです。

当たり前です。

そんな真剣で深刻で思い詰めた人々

ー しかもありとあらゆる異なる国籍を持つ人々 ー

とばかり向き合い続けるのが

彼の当たり前の日常です。

必死になって自分の病状を伝えようとする

いろいろな国の患者さんたちに

彼らが病院で説明されたことと似ても似つかぬような

病状説明&食養生についての指導

をしようと日々会話を繰り返す内に

S先生がなんとかかんとか

コミュニケーションできる言語は

今では9カ国語ほどにもなりました。

15年前に出会ったときは 

"7" ヶ国語のはずだったのですが・・・。




お国ゆえ台湾語と中国語が当然一番上手ですが

日本語もとても上手です。

若かりし頃に数年日本に住んでいたからです。

それでもやはり

アメリカという国で開業しているため

S先生がクリニックで最も多く使う言語は

不自由さは結構あると思いますが

どうしても英語が多くなります。




「先生と患者さんが楽しそうに歓談する大声が

ドアを開けると聞こえてくる。」というのが

彼のクリニックの

《一番当たり前の日常風景》です。

置かれている漢方薬の色は地味だし

クリニックも古くて狭くて匂いも "漢方薬" 

重苦しい雰囲気にならない方が

不思議なような条件が

揃いも揃っているはずの場所です。

それでも

あそこにいて暗い気持ちになったことは

ほぼ滅多になかったことを

今しみじみと思い出します。

言ってしまえばほとんどの人が

絶望を希望に変えてもらう場所

なのですから

当然といえば当然です。

ちょっとここに書くには憚(はばか)られる

まあ、罪がないといえば

そんな感じでしかないのですが

S先生は下ネタ話がけっこう好きで

冗談交じりにしょっ中連発します。

それも笑いの理由の一つです。

それに腹を立てて2度と行かない人も

いなくはないです。

私や多くの人と異なり

S先生のS先生らしさが

「きらい。」という人も

私が知るだけでも何人かいました。

人の性格や価値観や好みはいろいろですから(人種を問わず)

誰かが好きなその同じ人を

他の誰かは嫌いだったりするのは

言うまでもなく

当たり前の世の常です。

もちろん

先生のことが大好きな人も

とてもとてもたくさん知っています。




さて、今までの話は

前置きのようなものでした。

「涙なしには語れない話 Part 1」は

ここから本格的に始まります。

これは、

私がお手伝いさせていただいた人の話ではありません。

直接は知らない人のお話です。

S先生とのお付き合いの中で

偶然知るに及びました。





《"西洋医学的な見地" から判断して》ではなく

《"免疫の歪みを正す" とか
"カラダの酸化を修復する" といった
"真っ当な理屈から判断"してさえ

S先生を持ってしてさえ

根治や回復が難しく感じられるような

"命に関わるような重病患者" を

「だいたい、私、いつも3人くらいは

そういう人、持っている。」

出会いから既に7〜8年くらい経ってから

S先生は私に初めて

そんなことをポロっと話してくれました。

下ネタは

「ちょっと、先生・・・今はタイミングでなくない?」

そんな思いで強引に止めに入りたいようなこともあるのに

こういうことは

けっこうなかなか言わないんです、

S先生は・・・。






いつもは数名の患者さんを待合室に待たせ

明るくおしゃべりしながら

患者さんの足のツボを押しているS先生が、

その日はたった一人

ぽつんと椅子に腰掛けていました。

「S・・・せん・・・せい?」

私の声に気づいた彼は顔を上げました。

目が潤んでいました。

泣いていたのだと分かりました。

後にも先にもそんな様子の彼を見たのは

このときだけです。

S先生の涙

「あれっ・・・先生・・・

どうしたん・・・です・・・か・・・?」

「おお〇〇(私の名)・・・。

今、電話が掛かってきたところ・・・。

私の友達のムスメからの電話・・・。

私、今、電話切ったところ・・・。

お母さんのフューネラル (funeral=お葬式)に

私に出て欲しい、って・・・。

でも私『行かない。』って言った。

私、きっと泣くから。

あの人、すごくいい人だった。

だから、私、きっと泣くから・・・行かない。」

そう言うとS先生は

電話をして来たお嬢さんの母親のことを

とても上手な日本語で話し始めました。




あのとき亡くなったばかりのそのお母様は

西海岸で乳がんの専門医として

日々、乳がん患者さんと向き合っていた方でした。

白人のユダヤ人の女医さんです。

そんな彼女は

それから2〜3年前(?)のある日

S先生のことを《風の噂(うわさ)》

知るに及びました。

私もそうでしたが

S先生のことを知る人は

そのきっかけはみな《口コミ》だと思います。

治らないはずの病気を治してもらった人は

普通の感性をしていれば

ひとりその事実を胸に納める代わりに

誰かに伝えたくなります。

長年乳がん患者に向き合うも

抗がん剤からもすっかり解放され

完全な形で病と決別できた症例なんて

西洋医学のがん専門医として

人生でただの一度も見ることなく生きて来たところへ・・・。

足裏のツボを押すこと&漢方処方の2本立てで

あっという間に乳がんを治してしまう療法家が

世の中にいるのだということ、

しかもその人が

決して遠くない場所で開業をしていることを

ある日を境に知ることになったわけです。

「実際どうやって
乳がんを治しているのか見てみたい。」


それが彼女が

クリニックに足を運んだ理由でした。




私自身は、その場に一緒にいて体験したこと

ではありませんので、

どうしても正確さに欠けると思います。

できるだけ、聞いたままをお伝えします。

そのジューイッシュ(Jewish)のドクターは

それまでにS先生が根治させた乳がん患者さんの

《具体的な実話の数々》

いろいろと聞かされることになりました。

実際に自分が直接体験したことは

人は非常に具体的に話すことができます。

だからS先生のエピソードは

いつだってとても具体的です。

もちろん、患者の名などを

彼は明かしたりなどはしませんが・・・。

施術(足裏のツボを押してもらうこと)と漢方の短期服用の後

概ね7ヶ月から1年くらいを待った後(のち)に

もし病院に出向いて行って再度検査をしたならば

腫瘍マーカーはまったく振れなくなり

癌も消失している様子を確認することになる・・・

多くの人の命を救い続けている

そんな治療法が現実にあるのだということを

彼女は知るに及びました。

夫を含めた日本人のドクターを

S先生のところへ連れて行ったときの反応と

その女医さんの反応とは

まったく同じものだったに違いありません。

S先生がただただ《神》に見えたことでしょう。

「S先生の方法論に納得せざるをえない。」

脱帽・・・という心境に相違ありません。

彼女は、ちょうどその頃

2人の乳がん患者を抱えていました。

そしてなんと彼女はその2人の患者さんに

S先生の元で治療を受けるよう勧めたのです。

2人は早速クリニックに出向き

乳がん治療をスタートしました。

「どっちの彼女も

1ヶ月か2ヶ月くらいしか掛からなかった。

いつもそうだから。」

ほんとうにいつもそうなんです。

それは私も見続けてきました。

とにかく、早いのです・・・

根治までの期間が・・・。

とにかくおふたりは

すっかり元気になってしまわれたとのことです。
(←大抵の場合と同様に・・・)




その数ヶ月後のことです。

今度はその女医さんが

自分も乳がんを発症することとなりました。

《専門医の死亡原因の9割は自分の専門の疾患によるもの》

催眠心理学の授業中に

そんな統計があると聞かされたことは

「産婦人科の看護婦さんの多くが、将来わが子を産むのが怖い⁈」

の中で書きました。

日々患者を通して

不可避的に見続けざるをえない映像

彼女の潜在意識の奥に刷り込まれたとしても

なんの不思議もありません。

今度は乳がんを患う患者として

彼女はS先生のクリニックを訪れました。

正確な回数は分かりませんが

何度か彼女は彼の元に通ったそうです。

S先生の元に送り込んだ自分の患者さん2人が

まるで魔法のような速さで

根治を遂げたことを百も承知で、

結局そのドクターは

自分が患者に長年して来た同じやり方に戻る

ことを決めました。

その後その女医さんが

S先生のところに助けを求めて舞い戻ることは

決してありませんでした。

そして・・・

彼女の娘さんから

葬儀の知らせの電話を受けた直後のS先生を

あの日私はたまたま訪ねることとなりました。

話を一通り聞かせてもらうことに

なったわけです。




S先生はどなたかのお嬢さんのことを

名前を覚える代わりに

「ムスメ、ムスメ」と言います。

「ムスメに言われた。

『お母さん、S先生のことすごく尊敬してた。

お母さん、S先生のこと大好きだった。

だから "私のフューネラル(お葬式)に

S先生をどうしても呼んで" と、

お母さんから頼まれました。』って。

それで、ムスメ、電話くれた。

でも私、行けない。

あのお母さん、すごくいい人。

私、絶対泣く。

それ、私、困る。」




あのときの先生は、

今、ここに書いたように言いました。

だから私はこの話をどなたかにするときには

「乳がんを克服した実例に事欠かない療法が

確かに存在すると知りつつも

乳がん専門医として自らが患者にして来た

その同じ "治療法 (←といえるのか?)" を

自らが乳がんになったときに

その命と引き換えに己にも施すことを

最終的に選択したユダヤ人の女医さん」と、

だいたいそのような認識でいました。

その数年後、ふたりの間でこの話が出た際、

S先生はその女医さんが西洋医学に戻った理由を

また少し違った角度から説明してくれました。

「ユダヤ人は漢方薬は絶対飲まない。

ユダヤ人は足を押すは大丈夫。

でも、漢方はと信じている。

その考え、すごく強い。」

恐らくその思いもあの思いも

彼女の中にはどちらもきっと

存在していたのではないでしょうか。

きっとそれ以外のもっともっと

さまざまな思いと共に・・・。

「あの人、ほんとに良い人。」

S先生がそう思ったのは当然です。

いつだったか

やはり誰かからの電話を切った直後の彼を

訪れたことがありました。

そのときも最後の患者さんが帰った直後で

診察室には2人きりでした。

S先生は今度は涙を浮かべる代わりに

顔には怒りの表情を浮かべていました。

怒る高齢男性

「おお〇〇(私の名)・・・。

今の電話、西医者(せいいしゃ=西洋医学の医師)から。

自分の患者に内緒で

自分の子供だけ

私のところにこっそり連れて来たい、って。

こういう西医者、

もう、ものすごく多いよ。

私、やっぱり、これ、困る。

私やっぱり、断った。

今、その人に、私、

あなたの子供診れない、って断った。

自分の患者には私のこと絶対教えないのに

自分の子供だけ連れて来たいって・・・。

それ、すごく悪いよ。

私、やっぱり・・・やっぱり・・・

子供、可哀想けど、やっぱりできない・・・。

診てあげることできない・・・。」




S先生は自分の患者が元気になった後

彼らを中華料理屋に連れて行き

ご馳走してあげたりすることさえあります。

先生は彼らにとって恩人です。

一見、話があべこべです。

もしかすると

「S先生のアドバイスを《覚悟を決めて》

きっちり素直に徹底的に守り抜き

自分で自分の中にこしらえた

問題を解決した。」

ことに対する敬意、といった気持ちに

なってくれているのかもしれません。

良い方法論に出会うことができても

病気を作った当人である患者自身が

自らのできる努力から逃げていては

治るものも治りません。

功を奏する努力の仕方を明示される

ことが、患者にとってどれだけありがたいことか・・・

そのことに気づくことができたなら

カラダの中に作られた健康上の問題は

解決の道へと向かわざるをえないのかもしれません。




西海岸には貧しい国から移り住んだ人も

たくさん暮らしています。

そんな人々が重病に罹ったときには

S先生は治療費を《出世払い》にしてあげたりします。

「これならある・・・。」と

大量の古着を持ってきた患者さんもいました。

「あの人たち、どうせお金ないから・・・。」

と穏やかな表情で微笑んでいました。

一方、

大病院で20年以上に渡り

不妊治療に数千万円を費やすも

子宝に恵まれなかったにもかかわらず、

S先生の治療を受けた翌月に妊娠、

待望の赤ちゃんに恵まれたご夫妻で

先生に(高級外車の)フェラーリ

プレゼントをする約束したカップルがいたそうです。

「あんなに言ってたけど、フェラーリ、まだ来ない。」

古着の話もフェラーリの話も

どちらも彼のクリニックを舞台に起こる

珍しくない種類のお話です。




病院という現場で起こるあらゆる種類の常識

S先生の近辺に起こり

私が15年間に渡り見続けたことと

なにもかもが真逆に近いほどかけ離れています。

一般的な病院のドクターたちは

慢性疾患を根治する方法論を

明確な形で患者に示すことができていないのが

少なくとも現状に於いての真実です。

それでも、もし

どちらかがどちらかへ

「ご馳走します。」
(これを別名、「付け届け」とも言います。)

ということになったとき

それは《患者から医者へ》です。

例外はまずないでしょう。

新しい常識が作られて行くべきときが

来たのかもしれません。




次回は、

「ある末期がん患者の悲劇〜西洋医療の落とし穴」

と題して書きたいと思います。

今回同様

S先生のおかげで知るに及んだ実話です。

このブログを訪れて下さる方へ

心からの感謝を込めて

シェアさせていただきたいと思います。


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コメント

非公開コメント

こんばんは^^

S先生は、すごい方なんですね。

質問ですが、S先生は
どのような方法で診断されていましたか?

問診の他に
たとえば、脈を診るとか
しておられましたでしょうか?


S先生の治療法がそこまで
効果のある方法であるなら
謙虚に真剣に
西洋医学のお医者様達も
素直にS先生にお願いして
研究し学んでいけばいいのに・・・
と思いました。