末期の卵巣がんの治癒〜S先生との出会い



治った!

(治った私の気持ちを、ご自身のブログ上
 ある方がこんなステキな写真で表して下さいました。
 こちらでも、その同じ写真をお借りしました。)


約2ヶ月前、このブログで

「意識の物質化〜アトピー性皮膚炎からの解放」

というタイトルで記事を書きました。

そして今日、今度はこんなタイトルで書くと言ったら

あなたはこんな風に思うに違いありません。

「このブログ主さん、大ボラ吹きだったんだ!」

そもそもこんなに趣の違う二つの大病を

同じ人間が短期間に両方患い

1つ目は数年の試行錯誤を経て根治、

2つ目は僅か1ヶ月半ほど(←期間については“多分”)

で根治・・・なんて、

やはり普通にはそうそうある話ではないかも知れません。



1つ目のアトピー性皮膚炎の方は

「意識は物質化する」という

宇宙の法則の応用編(?) が功を奏し、

「意識から無くなったものは物質化しない」

つまり、

「病人の意識が無くなれば病気そのものが無くなる」

という真の科学に猛烈にサポートしてもらったお陰で

(←としか考えられません)

ふと気付いたら治っていた・・・

そんな話をさせていただきました。




一旦は手先足先(正確には手首足首)まで

ミイラさながらに包帯で巻かれるに至った

重度のアトピーとも

スッカリ決別できました。
ミイラさながら

ですが、

今度はよその国で

末期の卵巣癌
(生検は受けていませんが、十中八九間違いありません。
"卵巣がんの鼠径リンパ節転移" という可能性も否定できませんが)

に罹り

こちらの方はある意味《あっという間》に

克服してしまったなんて話は

嘘っぽく聞こえないはずがない

と思います。




でもこれは

私の身に本当に起きた出来事でした。

だからこそ

変に話をまとめるような

不誠実な書き方をするのではなく

起こった事実を順を追いつつ

ていねいに書き進めて行きたいと

思っています。




夫は日本の大企業に務める会社員

ではありませんでした。

公務員ではありましたが

研究職で海外に留学した場合

手伝ってくれる組織的な背景には

あいにく恵まれない状況です。

見知らぬ国で生活の基盤を作るのに

頼れる先はありませんでした。

もちろん、みなさん英語で

「なんでも相談してね!」

と言ってくれます。

いわゆる「シャイ」という感じの人は少なく

フレンドリーな人は事実まわりに

とてもたくさんいてくれました。

移民の多い西海岸が

生活の場だったということも

新しい環境に慣れようと

アタフタしているニュー・カマー
(new comer=他所から来た人間)

に接するのに慣れている人が

多かった理由のひとつかもしれません。




それでも、

当然のことではありますが

このような状況を迎えたとき

とにかく何もかも自分で片っ端から

どんどんと片付けて行かなくては

まったく前には進めません。

数え切れないほどたくさんの現地の人から

ありとあらゆることを教えてもらいました。

3週間のホテル滞在期間中に

役所関係の諸手続き、車の購入、借家の契約、

自動車免許の取得、子供を学校に入れる・・・

そういうことのすべてを

数々の失敗を重ねつつ

大恥もかきつつ

時には恐ろしい思いもしつつ

でも何より

計り知れないほどたくさんの人々の

寛大な気持ちに支えられながら

ひとつひとつ

夫と2人で片付けて行きました。

自分でそういうことをやっていると

けっこう早く現地に慣れるものです。

専門家に任せてしまうと

知らずに終わってしまうことも

それなりに分かって

ずいぶん良い勉強になりました。




お陰さまで1年ほど経つ内に

いろいろな出身国のお友達が

困った時にはいつでも手を貸してくれ

私たちの生活に

さまざまな色を添えてくれている

ことに気づき始めました。

英語はまちがっても

“流暢”と言えた代物ではありませんでした。

それでも母親の私がそんな風でしたので

子供達の生活環境(文化背景)も

《日本ではないもの》の要素が

かなり濃くなっていたと思います。

自然の流れが作って行った環境でした。

あえて意図したことではありませんでした。

食文化の発達した日本人の舌も

きっと楽しませることができるだろうと

配慮の元に勧めてくれたフード(食べ物)は

ありがたいだけでなく

当初はとても美味しくも感じられ
(←相手からの“気持ち”もうれしく)

断る気になどならず

お昼やおやつタイムには

喜んで楽しませてもらいました。

一般的には(ベジタリアンetc.ももちろんいますが)

ピザ・ハンバーガー・ケーキ
クッキー・キャンディー・甘い飲み物etc.


年齢を問わず大多数が

間違いなく好きだろうという理由で

多くの場面で当たり前のように

テーブルに並んでいました。

ジャンク・フード、スイーツ、スナックといった食べ物が、

ときには手作り(ホームメイド)だったりもしました。

アメリカンフード

そんなある日

ふと気付きました。

左足の付け根、

つまり鼠径(そけい)部の辺りに

極く小さなシコリのようなものが

できていることに・・・。

2人の子供を産むときも

病院には行かなかった私でした。

自分の産前産後の定期検診にも

子供の新生児検診にも

足を運ぶことの無かった人間です。
(初産初診のときのみ「妊娠です。」と言ってもらいに
 病院に行きました。)

病院でされるかも知れない処置(治療)を

積極的に受けたいという気持ちが

どうしても湧いて来ませんでした。

そのため当初は夫にも

その小さなシコリのことは話しませんでした。

気にしないようにしていたので

「秘密にしている。」

という気持ちさえありませんでした。




ところがそれは

サイズも痛みも

だんだん大きくなって行きました。

気にせず過ごしたかったのですが

やはり気になっていました。

なぜなら

鼠径部のしこりですので

ちょっとした身体の動きで

患部が圧迫されるんです。

だから、

大きさは気にしないようにできても

痛みゆえ

それがそこにあることを

いやでも意識させられました。

あんなに小さかったのに

2ヶ月ほど放っておいたら

小ぶりな卵大ほどにまでになっていました。

けっこう痛みもありました。




下の子は1歳になっていましたが

相変わらず母乳で育てていたため

しょっ中カロリー補給をしないと

すぐにお腹が空いてしまいます。

そのため、この頃は

朝夕食以外の時間帯には

人との交わりの中で

ジャンク・フードやスナックやスイーツを

いただくこともありました。

「う〜ん・・・。

このしこり、一体どうしようかなあ・・・。」

夫は研究を続けていましたが

それまで日本で

相当な数の患者も診てきました。

ようやく彼に相談をしました。

「こんなの放っておいて
いいわけないだろ!」


動揺しています。

まあ、そうですよね。

それで、隣町で開業をしている

知人の日本人ドクターのところに

足を運んでみました。




ナースでもあった奥さまとお二人

いつも明るく親切に

患者と向き合うカップルでした。

温かみのある笑顔溢れる雰囲気は

現地の日本人家族の多くから愛され

頼りにされていたと思います。

娘が4歳くらいの頃

彼らに助けていただきました。

娘は当時の友達と2人して

ふざけて土手上方から転がり降り

“幸い”娘だけ

ブロックに頭をまさに強打

- その頭蓋骨の硬さは
生まれた直後から只者ではなく
70歳を過ぎたベテラン助産婦さんをして
「こんな骨の丈夫な赤ん坊は見たことがない。」
と言わしめるほどだった、その娘だけが -

“幸い” 頭皮にパカッと亀裂が入り

大量出血と相成りました。

医院を閉めたばかりの夕刻でしたが

自宅の電話番号を知っていたため幸い連絡がつき、

医院に舞い戻って来てくれて

器用な手つきで7針を縫ってくれました。

彼の元々の専門は消化器でしたが

外科医だったとしても

「グッド・ジョブ!」を連発できそうな

綺麗な縫合でした。

そんなクリニックでしたので

「行ってみよう。」

という気持ちになりました。

すでに夕飯どきになっていましたので

奥さまはクリニックにはいませんでした。




ご主人から診察台に横になるよう

指示されました。

「足に怪我やおできは特にないですか?」

鼠径リンパ節が腫れているときには

足のどこかからばい菌が入っているケースを

医者は先ずは疑います。

「ぜんぜん無いです。」

患部にそっと手を触れているドクターが

暗い表情になっています。

「う〜〜〜ん。

この位置だからヘルニアか、

あるいは・・・

もしかしたら腫瘍だっていうことも

考えられるでしょう。

すぐに大きな病院に手配をしますからね。

検査入院をしてくださいね。

調べてもらって、やっぱりほら、

『悪性ではない』ならそうだって

やっぱり担当医にね、

はっきりと言ってもらえれば

〇〇さん(←私の名)も安心するでしょう?」

そんな感じの言われ方でした。

明るく振舞ってくれましたが

やたらに表情が固いのです。

ヘルニアに罹(かか)るにはまだ若すぎます。

ヘルニアのはずがありません。

鼠径部は端っことはいえ

消化器が専門だった彼は

特にお腹を診ることは

非常に得意なはずでした。

日本と米国と両方で医師免許を取得した

かなり経験豊富なドクターでした。

良性腫瘍というのは

たった2ヶ月であんなに急速に大きくなったりは先ずしない・・・

先日、夫(元々の専門は循環器)もそう言っていました。

大病院への手配に取り掛かろうとする彼に

以下のような話を

私の口が勝手にし始めました。

「先生・・・実は私、

10年ほど前にアトピーを発症して

発症後1年で重症化し、

西洋医学的な取り組みと一切合切縁を切り、

こうして根治をすることができました。」

私がかつてアトピーだったと言うと

みんな同じ反応をします。

「嘘でしょう?信じられない!」

そのくらい跡形もなく

治ってしまっていました。

この話題になると寡黙になってしまう

多くのドクターと異なり

そのドクターは

ちゃんと私に質問をしてくれました。

「どうやって治したんですか?」

今の自分と違って

当時は(いえ、近年に至るまで)

治った理由を聞かれても

「これだ!」とひとつ

決め手となるような何かを

示すことが出来ませんでした。

このときも

根治に功を奏したと考えられる

思いつく限りの理由を

常識の範囲内から探して

各論的に並べ挙げながら

一生懸命に説明をしたのを覚えています。

多分ついでに

自宅出産のことも話したと思います。

(話さなかったかもしれません)

そして続けました。

(私)「先生、それで・・・。

実は私、渡米後に出会った日本人のお母さんから

西洋医学の医者ではない

面白い療法家の方の話を聞いたんです。

台湾出身の方らしいです。

その友人は

長年不妊に悩んでいたそうです。

その療法家のを耳にし

施術を受けに行ったら(実際には漢方も併用)

ひと月ほどで妊娠に至ったというのです。

その後も自力では

なかなか妊娠しなくて

数年後また彼のところに行くと

やはり直後にまた妊娠したそうです。

お子さんは2人とも

とっても元気です。

不妊治療だけでなく

西洋医学が不得手とする

多くの慢性疾患


彼に掛かるとあっという間に根治する・・・

そんな噂の療法家だと聞きました。

緊急で検査入院が必要とのことですが

そうするより前に

先ずはその方のところへ

足を運んでみてもいいですか?」

(Dr)「◯◯さん(私のこと)は

アトピーを自分で治した人ですから

〇〇さんが試してみたいということを

僕は信頼しようと思います。」

(私)「ありがとうございます!」

(Dr)「ですが、一つだけ約束してください。

そこへ行って

例えば良くなったとしても

良くならなかったとしても

どちらにせよ

その後どうなったのかを

聞かせてもらいたいので

ここにまた戻って来てください。」

(な〜んていい先生なんだ!
バンザーイ!!)

このときどういう訳だか

《すっかり治った報告をしに
Dr の元に舞い戻っている自分の姿》


しか私の未来には存在しえないような

そんな気持ちになり切っていました。

もちろんその治療家は

西洋医学の医師免許は持っていません。

彼が持っているのは

他ならぬ《実績》でした。

《実績がある》ということは

《治す方法を知っている》ということです。

私のことだって治せるに決まっているその療法家の元へ

治療を受けに行きたいのだという明確な意思

そのDr に正直に伝えました。

いつも私たち家族全員に

温かく対してくれた彼との人間関係を

ほんの少しも損ねることなく

互いに笑顔で別れることが出来ました。

そんな展開になってうれしくないはずがありません。




けっこうご機嫌で帰宅しました。

医院でのやり取りを

夫にいろいろと話しました。

あれからもう15年が経ちましたが

2〜3日前、当時のことを

夫と話していたとき

ふと彼はこんな風につぶやきました。

「いや〜・・・。
あのときはさすがに一瞬、
脳裏を過(よ)ぎったんだよな〜。
『オレも父子家庭になっちゃうのかな。』
って・・・。」

そんな考えが “一瞬” で済んだのは

私が《あまりにもことを簡単に捉えている
ように見えたからだった》とのことでした。

その私の気持ちに便乗して

「とにかく、あまり深くそのことを考えないようにした。」

と言っていました。

私にしてみれば

「そもそも初めから
治ることが決まっていた
からこそ

こういう事態になる前に

最も親しくしていた日本人の友人を通して

その療法家の情報が間に合って私の元に届いたのだ。」

そうとしか思えませんでした。

どこかで

《自分の身体を実験台にした
更なる学びの材料の到来》


といった感覚があったのかもしれません。

医者と結婚する予定など

まったくなかったのに

ある種、強引とも言える流れに押されるように

結果的に彼のパートナーになったのも、

私の魂が今生で求めている学びにとって

それが必要不可欠な状況設定だったのだろう・・・

今では明確にそんな気がしています。

少なくとも

このとき既に私の興味は

「その療法家の人は

どんなやり方で私を治してくれるのだろう?」

ということに集中していました。

「そのやり方を明日には知ることができる。」

たった半日の待ち時間が

随分長く感じられました。




「他州や国外から飛行機で来る人もある」

というのに

彼のクリニックは

我が家から車で3分ほどの

超至近距離にありました。

漢方薬の匂いのたち込めた

古びた感じのクリニックの小さな待合室には

確かあの日は5人くらい(?)

患者さんが順番待ちをしていました。

壁一面に所狭しと貼られた

サンキュー・レター(=感謝状)は、

もちろん

彼から元気にしてもらった

患者さんたちから届いたものでした。

長年不妊に悩んだご夫婦が

待望の赤ちゃんと共にビッグ・スマイル

で写った写真の数は数え切れません。

幸せそうな写真たちが

クリニックの雰囲気を明るくしていました。



ついに自分の順番が回ってきました。

先ずは友人の名を挙げ、

彼女のお陰で先生を知るに及んだことを伝えました。

ここからしばらくは2人の会話となります。

(Dr. S)「お〜!〇〇ちゃ〜ん(←友人の名)!
    僕が〇〇ちゃんの足を触って漢方をあげて
    子供すぐ出来たよ〜。
    子供たちも元気、元気!」

(私)「ええ、ホント!2人ともすご〜く元気ですよ!」

(Dr. S)「あなたすごい顔色悪いね〜。どうした?」

(私)「(足の付け根のしこりに、痛いのでごく軽〜く
    触れながら)2ヶ月ほど前から、ここにこうして
    しこりのようなものが出来てしまって・・・。」

(Dr. S)「あなた、卵巣腫れてる
    今すぐおっぱい止めて。」

(私)「お・・・おっぱい?」

(Dr. S)「そう。今日、もう今すぐに、おっぱいあげるの
    止めないと、絶対ダメよ!」

(私)「母乳をあげるの、そんなに私に悪いんですか?」

(Dr. S)「今、赤ちゃんは何歳?」

(私)「1歳です。」

(Dr. S)「もうあげなくたって大丈夫よ。
    赤ちゃんに必要な栄養、
    (母乳の中に)もうあんまり入ってない。
    それよりあなたのカラダの方、
    栄養ぜんぜん足りてない。」

この日が初対面

ご挨拶こそしましたが、

彼は私に乳飲み子がいることなど

まったくもって知る由もありません。

医者がS先生の方法論を知ろうものなら

(自分も医者である)夫の言葉を借りれば

《一気に不幸になる》

・・・分かる気がします。

「一目患者を見ただけで
あんなことを言える医者がどこにいる?!」


「西洋医療は、一体何をやっているんだろう・・・。」

そんな気持ちになるそうです。

「診断法がそのまま治療法となっている」
ということ・・・
(足のツボを触って見事なまでに的確な診断を下し
 同じく足のツボを触って病気を根本から治す)

それは、どう考えても理に叶った方法であると

認めざるをえないそうです。

S先生の漢方は

だらだら飲み続けなくても早く効くため

服用を続ける必要さえないケースがほとんどです。

「医者より素人の方がS先生の実力を軽く見たがる。」

という彼の言葉にも思い当たる節があります。

確かに(素直な人柄だった場合?)医者の方が

彼を《神様呼ばわり》します。

西洋医学の限界

嫌という程わかっているからだと思います。

私のケースを取っても

「鼠径リンパ節が腫れたとき
即座に卵巣の腫れを言い当てる医者は
まずいないんじゃないか?。」

そう夫は言います。

これもかなり前のことですが

ひとりの日本人ドクターを

S先生のところへ連れて行ったときのことです。

彼は「もう自分はこの先長くはない。」と

家族のために多額の生命保険

加入したばかりでした。

その若いパパさんドクターは

わずか4回の足裏治療のみ(このときは漢方すら無し)で

すっかり健康になってしまいました。

一家で帰国する直前の出来事でした。

彼は帰国後、西洋医学の専門家として

この先自分がどのように慢性疾患の患者と向き合うべきか

そう考えるとただただ気持ちが落ち込む・・・

誠実な彼は、

そんな思いに悩まされるようになったといいます。

その一方で、

実績のある代替療法

感情的になって批判し始めたり、

西洋医学擁護のためなら

論理的矛盾もお構いなしといったドクターもいます。

《本当に治る医療》を目指す

強い志を持ったドクターも少なからずいることでしょう。

ただ、そういう人々は

当然のことながら王道からは外れます。

王道路線を行くドクターたちにどれだけ叩かれようと

屈することなく患者を根治させることを目指し

日夜努力をしていることでしょう。

むしろドクター以上に

ありとあらゆる分野の人々が

世界中のあちこちで

治る医療を実践しているのだろうと思います。




カラダはちゃんと

危険信号のサイン

私たちに届けてくれます。

続けてはいけないような

日常的な何かしらの習慣だったり

始めた方がより健康になり易い

新しい習慣だったりに気付く機会

気づくことのできる形で

“示して”くれる
と感じます。

前回のブログではありませんが

悲劇に見えることさえ

当人にとってもまわりにとっても

《良い理由で起こった》

と仮定すれば

けっこう納得のいく理由が見つかり易くなります。

《病気体験》もまさにそうだと思います。

大病を克服した人は地球上に五万とおられるはずですが、

「人生のあの時点であの病気になって
 本当にありがたかった。
 あの体験ができて良かった。」


乗り越えた後、そのように感じていない人を探す方が

ずっと難しいのではないでしょうか。




慢性疾患に関する限り
(←といっても、ガンを始め、現代に於いて“病気”というとき
 大多数は“慢性疾患”を指すようですが)

「病院で治療を受けても治らない。」

くらいならまだ良いのですが

大抵は

「病院で治療を受けたらむしろ悪化する」

「新たな不調(病気)が付加される」

そんな体験を

自身や自身の身近な人間を通してするに至った人は

今や巷(ちまた)に溢れ返っていると言っても

過言ではないのではないでしょうか?

私の足のツボを総点検した後

S先生が伝えてくれたことは

肝臓と脾臓が
「ものすごく悪い」

子宮も卵巣も
「もちろん悪い」

腎臓も
「少し悪い」

確か、そんな感じでした。

「あなた、すごく悪いよ。
 今日、私のところに来て良かった。
 あなた、すごくラッキー。」


つまり「間に合った。」ということでした。

足のツボを押されて

あまりに痛すぎて吐き気をもよおし

帰宅後は白湯(さゆ)以外は

喉を通りませんでした。

三日三晩、食べずにただただ眠り続けました。

突然授乳をストップしたため

お乳が張って大変でしたが

死んだように寝続けました。

結局、

足裏治療を7回受け(期間にして約1ヶ月半)

漢方入りのカプセルをトータルで50錠ほど服用した頃

鼠径リンパ節の腫れは

すっかり消えて無くなってしまいました


私が最もラッキーだったと感じるのは

他の患者さんのように

徹底した食養生を指示される代わりに

《授乳を止める》だけで

カラダに根本的な変化を起こす

ことができる状況にあったことです。

それまで子供に与えていた私のカラダからの栄養を

今度は自分自身に回すように変更するだけで

「免疫を正常にする」ことが簡単にできました。

もともとレストランなどで外食することはまずなく、
 
少なくとも朝夕食は
 
手作りでお家でばかり食べていました。

三日三晩、白湯だけで寝続けたその後は、

その頃までに散々いただいた

ジャンクフードのような食べ物は

まったくもって美味しくなさそうに見えるように

変わってしまっていました。






大抵の患者さんにとり

《指示通りの食養生を徹底すること》こそが

「良く分かりました。今日から頑張ります!」と

「言うは易し、行うは難し。」なのです。

自分で作ってしまった病気なのですから

自分がそのくらいは

頑張らなくちゃいけません。

慢性疾患とは、

日々の自分自身の悪習慣の澱(おり)が

少しずつ、少しずつ、

カラダに溜まって行った挙句に

あるとき《病気》と認識できるレベルにまで達し

ついに表に現れたもの

・・・だと言えます。

長年かけて病気を作ったのは自分自身
(注:子供の場合はまた少し、事情が異なりますが
 それはまた別の機会に・・・)

というのは

実はとてつもなくラッキーな状況

ではないでしょうか?

自分でこしらえた問題は

自分で解決ができます。

元に戻すことができるのは

自分を置いて他にいません。

問題は

《正しい方法論に出会えて当たり前》

という社会体制では今のところない

ということかもしれません。

間違わずに選択することさえできれば

カラダは待ってましたとばかりに

大喜びで修復作業に全力を注ぎ始めます。

S先生のような偉業を成し遂げることのできる人は

繰り返しますが

この地球上に実は大勢おられるはずなのです。

生のジャガイモをすりおろしたものをせっせと食べて

癌を根治した人がいます。

昆布が癌に効くという人もいます。

〇〇の名水を足繁く汲みに通って

その水ばかりを飲んで癌が消えたのだから

それが効いた以外に考えられないと言う人もいます。

動物のへその緒を食べて克服した人の話も届きました。

アメリカの大病院の癌専門医から

「グレープフルーツとコーヒー
 をよく摂れば君の子宮癌は治るらしいよ。」と

小声で耳打ちされた人を知っています。

ワインとコーヒーをせっせと飲んでいれば

癌には罹らないと言い切る人もいます。

クエン酸で治した人もおられるそうです。

MMS
(ミラクル・ミネラル・ソルーション)


との出会いで決別できた人は海外にも多いようです。

ちなみに

大成功の実績に事欠かないS先生ですが

強酸性食品で身体を冷やすコーヒーは

「絶対に身体に悪い。」と言い続けています。

彼に言わせれば

ワインと言えどもアルコールはご法度です。

S先生の言いつけを素直に守り抜いて根治した人は

数え切れない一方で

コーヒーやワインで癌を治した人もいるということです。

共通しているのは

病院(or 他の専門家)におまかせにせず、

自分がする努力の余地を

自分自身に大幅に与えたことかもしれません。

根治したのであれば

それはその人にとって正解だったということです。

治ればいいんです。




西洋医学的には「不治の病」
とされている疾患


いとも簡単に根治させる方法を知っている人は

S先生だけのはずがありません。

残念ながらS先生は

今ではひ孫がいる歳になってしまいました。

どんな情報もインターネットで調べられる時代が来ました。

ちょっと頑張れば

克服した人から直接話を聞けるかもしれません。

「治らない訳がない。」

そう信じることが助けになります。

そういった情報が届きにくいと嘆く前に

先ずはカラダの免疫を低下させる

あらゆる習慣や原因と縁を切ることです。

そして

《病気の責任は自分にある》

という事実から逃げてはいけません。

絶対的に大事なのは

《確かに実績を上げている療法》

に取り組むことです。

病気は自分の魂の奥底で

自分自身が望んで起こした出来事

だと捉えるのも成功のカギです。

自分を可哀想な病人だと思わないことです。




病気は

自己反省する機会

感謝する機会

何か大切なことに気付く機会

急に賢くなる (?) 機会

役立つ情報を誰かに伝える能力を育てる機会

などなど・・・

さまざまな学びを運んで来てくれるもの

だということに気づき

《またとない幸運》

と捉(とら)えてしまうのです。

それができれば

あなたが自力で自らを幸運に導くだろう情報を

しっかりとたぐり寄せるのも

きっと時間の問題でしょう。




私は実は

足裏治療と漢方が卵巣がんを速攻で治した

最もパワフルな要因だったとは思っていません。

それはあくまで補佐的なものだったと思います。

最高の結果となった最大の理由は

「あなたは "卵巣がん" です」

とか

「あなたは "卵巣がんの鼠径(そけい)リンパ節転移" です」

といった愚かな物言いを

S先生が絶対的にしないでくれたことだったと思っています。

S先生は、疾患名を患者に言い渡すことは

職業身分上してはならない立場でもありますが

たとえ言うことを許される立場だったとしても

彼は頼まれても疾患名など言おうとはしないでしょう。

それにより患者の免疫がどれだけ低下するか

よく知っておられます。

西洋医学的に "不治の病" のレッテル

が貼られている類(たぐい)の病気の名を

まだ病院から告げられてもいない患者に向けて伝えるような

そんな人を地獄に突き落とす

ようなことを平然と出来るほど

S先生の経験と知識と人となりは

《浅くない》

ということになるのかもしれません。
                                         。



彼の口癖は

「Don’t worry!」(=心配しないで!)

です。

重症患者さんにも
(彼の患者はそんな人ばっかりですが・・・)

同じことを言います。
(既に手遅れと判断した、ごくごく一部の例外を除いて)

ほんのわずかの希望でも存在しているときに

わざわざ "Worry" することによって

免疫を低下させることがプラスに作用することは無いのを

体験を通して痛いほど知っているのです。

S先生とのこの初対面から何年も経ってから

彼は私に

「あのとき、〇〇(←私のこと)、
 ホントに危なかったんだよ。
 もうチョット遅かったら…。」

と言い始めました。

あのときの倦怠感と顔色の悪さを思うと

心当たり大有りです。

患者を根治させる方法論が存在するとき

「癌告知された方が良い人と
 知らないままの方が良い人と
 ふた通り」


なんて、

一体何処からそんな発想が出てくるのでしょうか?

「癌」などと断言されることが

根治の助けになる状況なんて

《ない》と思っています。

少し奇異に聞こえるかもしれませんが

《私にとっての癌告知とは
 癌を固定化させて
 患者の意識から離さなくさせ、
 癌が自主的に消失すること
 の道を閉ざす行為》


に他なりません。

《意識しないものは物質化しない》

《病気であることを忘れたら、先ずは炎症が消え、
気付いたら病気が消えていた》

この身を通してそれを体験した者として

癌告知には

ほんの少しの共感も覚えることはありません。

少なくとも、

癌が不治の病だと思い込まされている現状が

続いている限りは・・・。


癌も慢性疾患の1つです。

慢性疾患を根治するには

《免疫を正し
 身体を酸化させないようにする》


ことに焦点を絞れば良いのです。
("思いわずらうこと" も免疫を低下させ、カラダを酸化させます)




悲劇の主人公のような気持ちになって落ち込んで

「あなたなら治せるって聞いたからここに来たのだから
もっと真剣に心配して!

と腹を立てるほど、依存心の強い精神状態にあるとき、

「Don’t worry!」は不誠実な言葉としか

受け止めようがないでしょう。

ですが

発想の切り替えが肝心です。

「自分は、今世で病気と深く関わるよう
 自分自身でプログラムしてこの世に出てきたのだ。」


と仮定してみて欲しいのです。

そうであるなら

《病気になったときこそが
 大いなる学びのスタート地点に立ったとき》


だと言えるかもしれません。

そうなると

病気は悲劇ではなくなります。




「ひと頃までは『癌は21世紀には
治せる病気になる。』
と言われていたけれど、
今、誰も、そんなことを言う専門家はいなくなった。」

夫がそう言いいました。

患者本人にはがんを告知していなかった時代には

家族が宣告された余命期間より長く生きるケースは

実際には今より多かったようなのです。

癌を治す方法は、ネット上だけでも

探せばたくさん転がっている時代に

あなたは自分の命の期限を平気な顔で告げてくる担当医が

自分に提示して来る治療方針に

何の疑問も抱かずに従い続けますか?


それとも

病気をいっそのこと、

自分の人生テーマ(の1つ?)に気づくチャンス

へと変えてしまいますか?

箱根神社


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コメント

非公開コメント

よかったですね(^^)


良い治療家の方と出会ったこと
ものすごくラッキーでしたね(^^)

卵巣がんが速攻で治るとは
すごい体験だと思いました。




旦那様は、お医者様でしょうか?

奥様の体験をご覧になるたびに
また、一歩
世界を見る目が
開けていかれるのでしょうね。

Re: よかったですね(^^)


コメントを本当にありがとうございました ❀(*´◡`*)❀ 

私も速攻でしたが

その後お手伝いさせていただいた人々も含め

命の期限を言い渡された

あまりに多くの人々が

やはり速攻で治られるのを

見続けてきました。

そうならない場合には

非常に納得できるような

《宇宙がその家族に与えている理由》

が存在していると痛感せざるをえません。



坊主おじさまのおっしゃる通りです。

医者(王道の道は捨てました)である彼も

家族も友人たちも

自分や身辺に起こる出来事を通じて

型にはまることを許されずに

個々の魂が奥底で欲している体験を

日々させられているように感じています。



今日もここまでいらしてくださり

心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。m(_ _)m