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潜在意識への刷り込み〜助産師の出産に対する恐怖とは



畳の大広間

産声を上げた遅くとも1分後には

首が座っていた(としか考えられない)娘が

まだ最初の誕生日も迎えていない頃のことでした。



当時、夫は大学の医局に勤務し、

附属の助産婦学校(現助産師学校)

若き麗しき看護婦さん方を相手に

「妊娠中の内科疾患」

というテーマで講義をしておりました。



独身の頃より、母親や妹と3人で

おしゃべりを楽しむ環境で育った彼は、

女性との雑談に花を咲かせるのは

元来とても好きなタチでした。


話上手で話題も豊富な私の母とも

雑談を始めると2人は丁々発止

父や私抜きで盛り上がることも

しょっ中でした。

助産婦学校の主任でいらしたKさんは

気さくで底抜けに明るくエネルギッシュ、

授業のある日はいつも活発に

彼の話し相手をしてくれていたそうです。




ある日、Kさんは彼に言いました。

そういえば先生、初めてのお子さん

 去年生まれたばかりでしたよね?

 助産婦の卵を前に授業をされているのに、

 ご自身の赤ちゃんの話を全然されないから

 忘れてたじゃないですか!

 それで、どこの病院だったんですか?」




(ついに来たか、その質問…。)

すぐには反応できなかったそうです。

「・・・ん?」

ですが、嘘を付くわけにも行きません。

うん・・・実は自宅出産だったんだよ。

「エーーーーーーーーーッ⁈」

Kさんは奇声を挙げたそうです。

ナースもびっくり


「どうして今まで隠していらしたんですか⁈

 その話、聞かせて下さい!

 そんな話こそ、生徒たちに是非とも

 授業でして欲しいのです‼︎

 次はそのことをテーマに

 たくさんおしゃべりをして下さい!」


「話をしてくれ、って言われても

 上手く講義できる自信ないよ。

 その場にいたから

 ある程度の話はできても、

 なんせ決めたのも実際に自宅出産をしたのも

 僕じゃなくて妻だから・・・。」

彼はそう返事をしたとのことです。

「じゃあ、奥さまに
 講義をして頂きましょう!」





帰宅した彼からそんな話を聞かされ、

ホントに困りました。

「講義、って・・・

 大学病院附属の助産婦学校の生徒さんたち相手に、

 しかも学校に出向いて行って?」

話すなら真っ正直に話すのでなければ

意味はありません。

私の口から飛び出す内容の話は

西洋医学の王道を行く大学病院にとっては

“究極的に都合の悪いこと” ばかり・・・

それが明々白々でした。


夫はそこで講師として

《フツーに授業をしてお給料を頂いている》

身です。

(ちょっとこれも・・・

 うーん・・・やっぱり言いにくい・・・。)

なんて心境で語るなんて、

やる気が起こりませんでした。




「それがさ、Kさんは病院出産に対して

 すでに多くの疑問を持っていて、

 正直に話してくれることこそを

 望んでいるようなんだよ。」

「頼もしい主任さんなんだ。」




Kさんから間もなく電話がありました。

本音で話す彼女とは

すぐに意気投合しました。

実行力のある方で

上とも話を取り付け、

講義の日取りがあっという間に

決まってしまいました。




“リスクの多々ある母体”

と位置付けらましたが、

娘は至って健康そのものでした。

「学生たちに赤ちゃんも見せたい。」

とKさんは提案されました。

校内にある畳の大広間が

会場となりました。




助産婦を生業にしようと志す女性陣に

あの日、娘はどれだけ可愛がって

もらったことでしょう。

助産婦の卵


“講義”などという

大それた雰囲気ではありませんでした。

弾けんばかりの明るい笑顔

娘を取り合うように抱っこしてくれた

三十数名ほどの若き乙女たちとの

楽しい歓談のひと時・・・

そんな感じでした。





2時間半くらいでしたでしょうか、

自由闊達な雰囲気の中

おしゃべりをしました。

20年近く前の出来事で

細かいことはよく覚えていません。


あの日、最も印象に残ったこと・・・

それは、プロとして

他人の出産を助ける仕事に就こうとしている

あんなにも多くの助産婦学校の生徒さんが、

《将来、自分自身が出産をすることに対して
 強い怖れの感情を抱いている》


という現実でした。




気ままに話していると

1人の生徒さんが私に問いました。

「怖くなかったのですか?」

今思えば

当たり前の質問だったのかもしれません。

(自然のお産だったからこそ安心していられた)

…としか思っていなかった私は、

正直に答えました。

「怖い、っていうような気持ちは

 まったくなかったです。」

その生徒さんは続けました。

「私は、将来自分が子供を産む時のことを思うと
 すごく怖いです。」


思わず皆さんに向かって質問していました。

「将来、ご自身が出産をするのが怖い、

 って思ってらっしゃる方、

 他にもおられますか?」

挙手をしてもらいました。

半分以上の手が即座に挙がりました。

怖い

一瞬、胸が締め付けられるほど

苦しくなりました。

ここにいるこの子たちは

 出産に対し恐怖心を抱えながら助産婦となり、

 自分の元を訪れる女性たちの出産を

 プロとしてサポートしなくてはならない

そういうことです。



私をヘルプしてくれた72歳の助産婦さんとは

かなり違う心境だったに違いありません。

「安産以外、まずありえない」

と信じていたそのベテラン助産婦さんは、

私に《安心感のみ》を与えてくれました。

お互いの中にある同種の意識が共鳴し合い、

出会いとなったのかもしれません。

《引き寄せの法則》も宇宙の理です。




《宇宙の理》

より

《便利の理》や《経営の理》

に重きの置かれた《現代医療》の元で働く

産婦人科の助産婦さんたちは、

陣痛という大自然のサインに従う出産、

重力を最大限に生かした体勢で行う出産、

そんな現場に立ち会う機会を逃しながら

日々忙しく働き続けています。

大自然の摂理に逆らう出産

見せつけられながら働かざるを得ないのです。

悲しいお産が増える現場に

身を置かざるを得ないのです。




彼女たちも、

病院の専門医たちも、

人体に異常事態が発生したときにこそ

プロとして仕事をする人々です。

難産や死産、ときにはお母さん自身が

出産に絡んで命を落とす場面に

立ち会わざるを得ない立場です。

毎日、人体の異常な状態のみと

付き合い続けざるを得ない立場です。




嘘か誠か、真偽のほどは定かではありませんが、

統合医療の専門学校で

催眠心理学を学んでいたとき、

《専門医の死亡原因の9割は
 自分の専門の疾患によるもの》


そんな統計があると聞きました。

夫は循環器内科の専門医でしたが、

「最高血圧と最低血圧の幅が狭い
 という自分の体質を変えることはできない。」

長年そのように信じておりました。

40歳を過ぎたら

自分自身に降圧剤の服用を始めると

彼は独身時代から決めていました。




ところが、健康に良いと信じ

せっせと飲み続けていた牛乳を止めただけで、

血圧は正常化してしまいました。

軽いかゆみを伴う

上腕部の皮膚の乾燥も治りました。

牛乳摂取を常習とされる方々に

糖尿病が多いことも、

患者さんを通じて

気付かせてもらうに至りました。

専門医の職を捨て

今では産業医として働いている彼は、

牛乳摂取による弊害の方を

皆様にお伝えする日々です。

(牛乳に関する話はまたの機会に…)




そもそも出産は病気ではありません。

病気でない人間を

《病気を患った人々のための場所》

で取り扱っているのです。

陣痛→出産は、潮の満ち引きにも呼応し、

大自然の法則で起こります。

それを、特に大病院では、

すべてのスタッフが出揃っている、

病院が開いている通常の勤務時間帯に、

人間様 (?) が便利を追求した手法に則り

赤ん坊を産ませようと計画するのですから、

自然の恵みを《実感する》のは不可能です。




体験は潜在意識にすり込まれます。

専門医も助産婦も、

健康な映像の代わりに

異常のある臓器の状態や

苦痛な光景ばかりを見続けるのです。

そんな光景は顕在的にも潜在的にも

意識として彼らの魂の奥に刻まれます。

専門医が自分の専門の疾患を患い、

産婦人科で働く助産婦さんが

自らの出産を怖がるのは

至極当然のことです。



《意識は物質化する》

という現象の1つの例に過ぎないのでしょう。

次回で詳しく触れたいと思います。


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コメント

非公開コメント

こんばんは

自然な流れに沿うのが
一番ですよね。

人間の意識の力には
計り知れないものが
あると思います。

Re: こんばんは

はじめに...
コメントをいただきましたこと
ありがとうございます。
坊主おじさまが
第一号の人となりました。
ブロクのいろはもわからないまま
まさに自然な流れに押されるように
書き始めたばかりです。
返信の仕方も
調べてしているほどよちよちで
不備や失礼があったら
どうぞお許し下さいませ。

ブログをたくさん
読ませていただきました。
どれも楽しくて
とても共感できて...
また遊びに行きます!

『死んでいく瞬間は、
苦しくないのかも・・・(〇o〇;)』
私もそう思わざるを得ません。
この世はなんと
親切に作られているのでしょう。
ネイティブインディアンの言葉は
ずし〜〜〜ん・・・でした。
(後日コメントをしに
立寄らせていただきます!)
〜感謝を込めて〜

刷り込み

はじめまして。

助産師さんたちが病気の勉強ばかりしていると、出産を不安に感じるのはもっともだと思います。
その不安が産婦さんへの接し方にも現れるのでしょうね!

このたび、『自閉症と刷り込み』という本を出しました。
自閉症の原因は刷り込みの障害だということを書いています。
よかったら、花伝社の新刊案内を見て下さい。

Re: 刷り込み

はじめまして。ご訪問とコメントを大変ありがとうございました m(_ _)m

白石さんのご本の内容に大変興味を引かれました。
ウエブサイト上に見つけました『自閉症の原因と予防 刷り込み障害説』を
冒頭から読ませていただいて何分もしない内に、
「『自閉症と刷り込み』がどうしても読みたい!」と思いました。

長年に渡る膨大な研究から辿り着かれた白石さんの説は
偏見に基づく善悪による価値判断に頼るところがありません。
ご経験やお考えを愛情深く冷静に丁寧に識別され、
「自閉症の真の原因の発見」に辿り着かれたように感じられました。

体験から得た自分の思考と響き合う内容に溢れている、
などと軽々しく言えばおこがましいと感じられるほど、
疑問を見事に晴らして下さる内容、いえ、疑問に至らなかったことまでも、
気付かせてくれるような説得力に溢れていました。

ウエブの方、まだ読み終えていないのですが、ご本が手元に届きました!
読み終えましたら、先ずはメールの方にご挨拶に上がると思います。
こうして読ませて頂く機会が訪れたことがとてもうれしいです。
この度はどうもありがとうございました m(_ _)m ❀(*´◡`*)❀ 

分娩台

白石勧です。
私のコメントに対して、ビビッドに反応していただいて、びっくりしています。

日本でただ1人、自宅出産をしていた産婦人科医の大野明子先生が『分娩台よ、さようなら』という本を書いています。
分娩台に乗って仰向けで出産をするのは、排便でさえも大変なように、自然の姿ではないと訴えています。
お産の体位を自由に選べる環境だと、仰向けで出産をするお母さんは1人もいないそうです。
仰向けで出産をするのは、お母さんにとっては拷問のようなものです。
そして、赤ちゃんに供給される酸素も減少します。
それにもかかわらず、分娩台の上で仰向けになって赤ちゃんを生むのが常識になっているというのが現代の産科医療です。(『自閉症と刷り込み』217ページ)

さらに、現在の産科医療は生まれたばかりの赤ちゃんを母子分離して新生児室に隔離します。
私は自閉症の研究をするまでは、病院が間違ったことをするはずは無いと、病院を信じていました。
しかし、自閉症の研究をしていくと、出産直後からの母子同床という哺乳類としての自然の摂理を無視したことが、自閉症の原因であることが解りました。

Re: 分娩台

白石さん、コメントをどうもありがとうございました m(_ _)m

白石さんのサイト(『自閉症の原因と予防 刷り込み障害説』)に
大野明子ドクターのことを書いておられ、「えっ⁉︎」と思いました。

「助産師さんではなく、産婦人科の医師が、
 個人病院(産婦人科クリニック)でお産をさせるのではなく、
 お母さんの自宅に出向いて、自宅で産むことをサポートしている
 .....ということ?」

そのような素晴らしいドクターが日本におられたのですね!
明確な信念の元、自分が正しいと確信をしているやり方で
出産をサポートすることを決められ、準備を整えられ、
そして、実行しておられる...
そのような断固とした専門家であるのならば、
「何人も(なんぴと)それを邪魔することはできない。」ということを
身を以て証明しながら医者をされている方だと思いました。


第二子のときは「気づけばカラダが勝手に、重力が最大限に
掛かる体勢を作っていた。」という不思議な体験をしました。
動物の本能が働いてくれた、というだけで、
本当は不思議でもなんでもないこと...なのだと思っています。

一方、第一子のときは、ベッドの上で仰向けの体勢で産みました。
助産婦さんのお考えの中に、“それ以外の体勢” で私をサポートする
といった発想はなかったご様子でした。

第二子の時と比べると
“明らかに、重力の手助けを借りることが出来ていなかった体勢"
双方を比較することができますので、それは、少なくとも私としては
“明々白々の事実” だと、はっきりと申し上げることができます。

(「安産しないなんてあり得ない!」と思わせて下さるような体験談の数々を
  話して聞かせて下さった助産婦さんは私にとっては感謝しかないお人ですが・・・)


こうして白石さんのコメントを読ませて頂きますと、
(陣痛の痛みは当然に存在しましたが)
第二子のときの「あっけなさ」を思うとき、“拷問のようなもの”
という言葉を使われたことに、素直に共感を覚えます。
実際、助産婦さんは「髪の毛が見えてから完全にカラダが出るまで」、
けっこう奮闘しておられました(つまり、私にとっては拷問です)。

一旦は重度に至ったアトピー性皮膚炎が、完治に至っていなかったこと、
高齢初産(←といった言葉を “常識” として刷り込まれる風潮にも
大きな問題があると思いますが)だったことを考えますと、
《大安産》だった、と感謝せずにはいられませんでした。

・・・が、やはり、《大安産》という言葉にふさわしいのは
「自然の姿(=重力がもっとも良く掛かる体勢)」で産んだときだと
思わないわけには行かないのです。


病院には、そういえば「新生児室」なんていう場所があるのですよね?!
「お母さんが、当たり前には、『連れて行かないで〜〜〜!!!』
 という気持ちにならない。」
ということだとも解釈できます。

白石さんが書いておられます、
「病院が間違ったことをするはずは無い。」といった思い、
また、
「常識となっている方法に従っていれば、少なくとも大事に至るようなことはない。」
といった思いなどが、
“お母さんが病院出産を疑問に思わない気持ち” を後押しする部分もあるのでしょうか?


自分のことを振り返ってみますと、病気をしたことで
「西洋医学・西洋医療の限界(病院で受ける治療への失望感)」というものを、
身につまされて感じた(私の人生に付き合うことになった医者の夫も)・・・
その延長に自宅出産があったとも言うことが出来ます。

白石さんのご研究のこと、白石さんがご存知のことは、世界中の人々が知るべきです。

本来《当たり前の生まれ方》で生まれる出産環境と、
常識になってしまっている出産環境とは、
「似ても似つかぬほど異なる。」ということを、
「大きなリスクの潜んだ、とてもむごい産み方である。」ということを、
皆が知るための変化は「起こることになっている。」のではないかと信じています。

“自然の摂理” に敬意を払う者として、白石さんのご研究を心より尊敬します。